【宮崎県都城市探索】③ 観音瀬水路とアレにエンカウントする!
【宮崎県都城市探索】③ 史跡
🦶術後280日目(2022/02/25)
晴れ。朝寒い。
東霧島神社から観音瀬水路(かんのんぜすいろ)へ向かう。
2車線から徐々に狭くなり最終的には1車線。
対向車が来ないことを祈りつつ進む。
奥に駐車場とトイレがあった。
駐車場は広めだ。
ここから歩いて観音瀬に向かう。
ここは、注意書きにもあるように水位が高いときには入らない方が良いだろう。
私が来たときは水位が低く十分歩ける状態だった。
しかし、濡れているところは滑りやすいので注意が必要。
川に入るのもかなり危険なのでやらないこと。
見た目以上に急流だった。
とても小さい子供が遊べる場所ではない。
見学のみが無難だろう。
行けるところまで行って見る。
人工的に切っているところが多々あった。
これを江戸時代に工事したのは凄い。
一通り見学を終えて車へ戻る。
帰りの道路で猿がたくさん横切って行った。
観音瀬を見学中に何か声が聞こえたりガサガサ音が時折聞こえていた。
その原因は、猿だったようだ。
次の場所へ移動する。
高崎町縄瀬上轟、高城町有水八久保間の大淀川の急流を観音瀬と呼びます。
江戸時代、観音瀬は一帯に広がる岩盤とその先端にある滝により、船の行き来ができない状態となっていました。
そのため、寛政3~5年(1791~1793)にかけて、船を通すために、長さ約90メートルの水路を掘る工事が行われました。これが現在も残る高崎側の水路です。また。明治22~23年(1889~1890)には高城側に県営事業としてもう一本の水路(写真・下段)が掘られました。
次回へ続く。
🚙ルート
スッコン谷渓谷
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ごろが轟
↓
薩摩迫館跡
↓
東霧島神社
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①観音瀬水路
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次回へ続く